階段

岩手旅行編、今日が最後です。

今回は遠野、花巻と、岩手では内陸の方に旅行に行ったので

震災の爪痕、のようなものに直接出会うことはなかったのですが、

出会う人出会う人、皆さん震災のことを話してくれました。

その中でも印象的だったのが花巻のバスの運転手さんが仰っていた話。

この運転手さん、3月10日に釜石で観光タクシーの運転をしていたとのこと。

北海道から来られたお客さんを乗せて、海岸沿いを1日案内していたらしいのです。

1日違っていたら僕は今ここにいないね〜と。

そして、あの、最後に案内したお客さんがたくさん撮っていた風景、

あれが最後の写真なんだね、、、

1日後にはもう全てが変わってしまったのだから、と。

言葉が出なかったです。

その他にもいろんな話を聞いたのですが、

最初の1、2ヶ月は誰にも来て欲しくないと思ったけれど今は違う、

復興の姿を見て欲しいと思っている、というようなことも仰っていました。

岩手にただ遊びに行くなんて不謹慎かなと悩んだこともあったのだけど、

いろんな人と触れ合って、話を聞いて、行ってよかったなと心から思いました。

そんなバスの中で撮った写真、今回の一番のお気に入りの写真です。

ずっと特別な場所だった岩手が、今回の旅でもっと特別になりました。

最後に私が大好きな宮沢賢治の文章を。

残念ながら今回の旅では出会えませんでしたが、私の宝物のことばです。

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わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。